2013年04月16日

Twitterや、ブログなどの書き手がデマ発信源とならないためには?

自分が確認できない出来事に対して個人的な意見を書くときに、デマの発信源として扱われないかいつもドキドキしながら書いています。

考えすぎと思いつつも、なんらかの形で裁判に訴えられた場合、「個人の考え」と「訴えた人や団体の主張」のどちらかが正当性があるかの争いになるため「非常」に面倒くさい事となります。

裁判所から書面で通知来るまでは、訴訟ではないので、「訴えてやる」とか「遅延損害金を払え」とか「法律で決まっているので支払ください」とかなんて事は、脅し的な意味が強いかと思います。
※訴訟詐欺もあるので、現金(和解金など)を支払う前に公的専門家などに相談し事実関係を確認してください。


Social Magician Makoto Sakata
ソーシャルメディアで「感動できればデマでも良い」ではいけない理由(Social Magician Makoto Sakata)
[引用開始]
感動できれば、デマでもよくない

主にFacebook上で、感動の実話を装った捏造・デマが、シェアにより広がる事例が増えています。

父親にメールを送りながら亡くなった気仙沼の女の子はいなかった
デマでも感動的なら良いの?Facebookで拡散される「ウソいい話」と指摘まとめ
日本の自殺 [「デマかもしれないけど、いい話だからシェアする」がダメな理由]

私も「感動できればデマでも良い」は否定しています。

上記のリンク先で、それがなぜいけないのか、非常に論理的に解説されていますので、ご一読頂きたいのですが、私が「感動できればデマでも良い」を否定する原因は、東日本大震災にあります。

※続きは、上記リンクより参照してください。

[引用終了]


Facebook、Twitter、ブログなどで、転載元の情報を精査せずに、転記している場合があるように感じます。

自分で体験した味や風景など五感で感じた事を常識の範囲内で書く分には、問題ないかと思います。

ただし、「常識の範囲内」というのが厄介な部分で、たとえば、「○○ファーストフードの料理が不味かった。○○店も同様なはずなので行かない方が良い」とか、「○○食品を食べたらお腹を壊した。周りの人もみんなお腹を壊した事がある」とか、「○○はガラが悪いので、悪い事をやっている」など、体験した事と、聞いた事を混ぜて書く場合は、自分の勘違いでは済まない可能性があります。


3年前に沖縄でも、「国民の事を考えていない」「最低でも県外」「収入も確実に増える」と訴える人達の話を、多くの人が信じたけれど、実際はデマだったなんて事があったようです。
まあ、「利権に絡む人達」の事を考慮したら何もできなかったのかもしれません……。

最近の報道は、物書きとしての文章では無く、どれだけ人の興味を引くかに重点を置いているように感じます。その為、文脈や原文を確認しないで、転載や個人的な意見を付けると伝言ゲームのように趣旨が変わる可能性があります。
状況を確認した上で、出来事、推測されること、書き手の主張を分けるだけで、可読性があがり、誤認する可能性が減るかと思います。

まあ、1次ソースで不十分な場合もあるようですが……。


たとえ、1次ソースを書いた人の誤解や勘違いであっても、2次ソース以降の読み手が事実だと認識した場合、結果的に誤認した内容を広げてしまう事となります。

「人の為とかいて『偽』と読む」なんて話もあります。容易に情報発信ができるようになった反面、発言に対して責任の重さが増えています。
私を含め文章を書く上で注意していかないといけない部分かと思います。




本文とは関係ないですが、「Social Magician Makoto Sakata」の記事エントリーで下記の記事はおもしろかったです。

どすけべホイホイ、地方へ!Facebookで突然の美人は危険

[関連]
Social Magician Makoto Sakata
ソーシャルメディアで「感動できればデマでも良い」ではいけない理由(Social Magician Makoto Sakata)

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