2013年06月17日
もう少しで「慰霊の日」ですね
もう少しで「慰霊の日」ですね。
今日は、第二次世界大戦中の沖縄地上戦について紹介したいと思います。
紹介する動画は、凄惨な部分があるため苦手な人は、閲覧は行わない方が良いです。
・【ザ・パシフィック】予告編 (YouTube)
・ザ・パシフィック(wikipedeia)
[引用開始]
バンド・オブ・ブラザース制作委員会が第1海兵師団の海兵隊員達を主人公に太平洋戦争の戦いを描く、実話を基にしたテレビドラマシリーズである。脚本は元海兵隊員ユージーン・スレッジのノンフィクション作品『ペリリュー・沖縄戦記(英語版)』と、同じく元海兵隊員ロバート・レッキーの回想記『Helmet for My Pillow』(日本未訳)に加え、議会名誉勲章受章者である海兵隊員ジョン・バジロン一等軍曹のエピソードを基にしており、物語はこの3人を中心にして描かれている。
※続きは、上記サイト(Wikipedeia)を参照してください。
[引用終了]
・The Pacific: Inside The Battle - Okinawa (HBO) (YouTube)
「戦争の悲惨さ」をテーマにしているだけあって、正義とか以前に悲惨な状況が描かれています。
南方諸島では、民間人を含めほとんどの方が亡くなった戦いもあったようです。
沖縄戦では、戦った兵士の数、巻き込まれた民間人の数、生き残った人の数も多かったです。
・Bulletin of the Okinawa Operation MOB-56 (1945) - WWII (YouTube)
上記のように、アメリカ国内(連合軍)向けの映像を撮る為に、各部隊毎にビデオカメラでの撮影が行われており、映像がかなり残っています。
旧日本軍と連合軍双方の兵士が、死と隣り合わせの極限状態でおかしくなり非人道な行為を行うというのは少なからずあったようです。
撮影された動画には、そのようなシーンも含まれています。
[※警告 閲覧注意] 連合軍兵士が死者に対しひどい扱いをする動画
・War Crime - Censored U.S. Marine Corps Footage - Battle of Okinawa 1945 -
[※警告 閲覧注意] 連合軍兵士が死者に対しひどい扱いをする動画
・連合軍に見つかると虐殺される。
・辱めを受けるならば、潔く死を選ぶべきだ。
・死ぬ事を考えずに生きながらえる事が重要だ。
・沖縄が陥落すると、次は本土(本州)決戦となる。
・(民間人も含め)捕虜になると、軍事機密が漏れ、防衛に支障がでる。
沖縄で連合軍の進行を食い止められなければ、本土決戦となり、多くの犠牲が出てしまう。民間人に被害がでるのを出来るだけ防ぎたいという方針の反面、自分が助かれば良いと行動する日本軍兵士もいたようです。
・Okinawa war 1945沖縄決戦(YouTube)
連合軍は、1945年の3月26日に、沖縄近海へ到着しました。
旧日本軍は、上陸可能な海岸線にトーチカや塹壕などで防衛ラインを構築し、南方諸島で連合軍に対し過大な被害を与えていたことから、上陸地点の安全を確保するため(現在の)宜野湾市海岸線を艦砲射撃で爆撃しています。
・Okinawa war 1945沖縄決戦 南部の戦い(YouTube)
・Okinawa war 沖縄連合軍の大攻勢 (YouTube)
旧日本軍の防衛線が、南部に集中して設置されていたため沖縄本島北部の侵攻に時間は掛からなかったものの、残り三分の一(約30km)の南部侵攻は、激しい抵抗に遭い3ヶ月も要しています。
・沖縄地上戦 Okinawa ground war (YouTube)
連合軍は、自然壕や塹壕などに隠れた旧日本軍から背後の攻撃を防ぐ為、投降を呼びかけたのち壕の爆破や、入り口を埋めたり、火炎放射器で焼き払うなどを行っています。
また、同様の理由から侵攻経路上の民家などの構造物や林なども焼き払ったり、爆撃や砲撃などを行っています。
投降を呼びかけられても、連合軍のことが信じられずそのまま被害にあった方も多かったようです。
そのため、埋まってしまって場所が分からない。壕の存在も分からないなどから遺骨収集がされずにそのままとなっている場所もあります。
・Okinawa war 沖縄決戦 首里攻防戦 (YouTube)
旧日本軍は、首里城の地下に陸軍司令部を置いていました。
1945年5月25日から3日間の攻撃を受け、司令部を失った後は、戦線を南下していくこととなります。
1945年6月23日ごろ、日本の沖縄守備軍最高指揮官の第32軍司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将が、摩文仁の軍司令部で自決した。6月25日に大本営も、沖縄本島における組織的な戦闘の終了を発表しました。
組織的では無い戦闘は、その後、しばらく続いていましたが、沖縄では、この6月23日を「慰霊の日」と定め、記念日としています。
・ アメリカからみた【沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊(Okinawa)】第二次世界大戦(YouTube)
・ひめゆり学徒隊(師範学校女子部と県立第一高女)
・白梅学徒隊(縄県立第二高等女学校の四年生)
・瑞泉学徒隊(県立首里高女)
・積徳学徒隊(私立積徳高女)
・梯梧学徒隊(私立昭和高女)
・なごらん学徒隊(県立第三高女)
・宮古高女学徒隊(県立宮古高等女学校)
・八重山高女学徒隊(県立八重山高等女学校)
・八重農女子学徒隊(八重山農学校)
ひめゆり学徒隊は、引率教師が多かったため、戦後の早い時期から知られることとなりましたが、その他の学校でも、補助看護婦として高校生くらいの女の子も従軍を行っていました。
・病院壕は、糞尿の臭いや腐った臭いが充満していて、最初は気分が悪くなったがしばらくすると慣れた。
・(戦況が厳しくなった頃は)医薬品が不足し、壊死した手足の切断を麻酔なしで行っていた。
・個別で埋葬できなくて、爆弾であいた穴に埋葬した。
・十分な手当てが出来ずに亡くなっていく方がいた。
前に元学徒看護隊のお話を聞く機会がありました。
お話を聞いていると、その方の体験談だけど、悪い夢の内容をはなしているような感じでした。
手足の切断で、骨をのこぎりで切り落とすところの描写が細かかったり、生きている人を抱きかかえるよりも、手足だけの方が重くて大変だったとか。遺体を埋葬したところに家が建っているとか。雑用すらしない女の人がいたので、大人の人に文句をいったら、作業はしなくても良い人だといわれた話とか。
看護した兵隊さんがどんどんなくなっていくのをなんとも思わなくなったというお話のが印象的でした。
真珠湾を攻撃して宣戦布告、約3年後、長崎、広島の原子爆弾攻撃を受けて敗戦。
今思えば、宣戦布告前から戦力に差があるのは明確なのに、なぜ、宣戦布告し、太平洋戦争を起こしたのか学校の授業でならった事がなかったような気がします……。
今日は、第二次世界大戦中の沖縄地上戦について紹介したいと思います。
紹介する動画は、凄惨な部分があるため苦手な人は、閲覧は行わない方が良いです。
・【ザ・パシフィック】予告編 (YouTube)
・ザ・パシフィック(wikipedeia)
[引用開始]
バンド・オブ・ブラザース制作委員会が第1海兵師団の海兵隊員達を主人公に太平洋戦争の戦いを描く、実話を基にしたテレビドラマシリーズである。脚本は元海兵隊員ユージーン・スレッジのノンフィクション作品『ペリリュー・沖縄戦記(英語版)』と、同じく元海兵隊員ロバート・レッキーの回想記『Helmet for My Pillow』(日本未訳)に加え、議会名誉勲章受章者である海兵隊員ジョン・バジロン一等軍曹のエピソードを基にしており、物語はこの3人を中心にして描かれている。
※続きは、上記サイト(Wikipedeia)を参照してください。
[引用終了]
・The Pacific: Inside The Battle - Okinawa (HBO) (YouTube)
「戦争の悲惨さ」をテーマにしているだけあって、正義とか以前に悲惨な状況が描かれています。
南方諸島では、民間人を含めほとんどの方が亡くなった戦いもあったようです。
沖縄戦では、戦った兵士の数、巻き込まれた民間人の数、生き残った人の数も多かったです。
・Bulletin of the Okinawa Operation MOB-56 (1945) - WWII (YouTube)
上記のように、アメリカ国内(連合軍)向けの映像を撮る為に、各部隊毎にビデオカメラでの撮影が行われており、映像がかなり残っています。
旧日本軍と連合軍双方の兵士が、死と隣り合わせの極限状態でおかしくなり非人道な行為を行うというのは少なからずあったようです。
撮影された動画には、そのようなシーンも含まれています。
[※警告 閲覧注意] 連合軍兵士が死者に対しひどい扱いをする動画
・War Crime - Censored U.S. Marine Corps Footage - Battle of Okinawa 1945 -
[※警告 閲覧注意] 連合軍兵士が死者に対しひどい扱いをする動画
・連合軍に見つかると虐殺される。
・辱めを受けるならば、潔く死を選ぶべきだ。
・死ぬ事を考えずに生きながらえる事が重要だ。
・沖縄が陥落すると、次は本土(本州)決戦となる。
・(民間人も含め)捕虜になると、軍事機密が漏れ、防衛に支障がでる。
沖縄で連合軍の進行を食い止められなければ、本土決戦となり、多くの犠牲が出てしまう。民間人に被害がでるのを出来るだけ防ぎたいという方針の反面、自分が助かれば良いと行動する日本軍兵士もいたようです。
・Okinawa war 1945沖縄決戦(YouTube)
連合軍は、1945年の3月26日に、沖縄近海へ到着しました。
旧日本軍は、上陸可能な海岸線にトーチカや塹壕などで防衛ラインを構築し、南方諸島で連合軍に対し過大な被害を与えていたことから、上陸地点の安全を確保するため(現在の)宜野湾市海岸線を艦砲射撃で爆撃しています。
・Okinawa war 1945沖縄決戦 南部の戦い(YouTube)
・Okinawa war 沖縄連合軍の大攻勢 (YouTube)
旧日本軍の防衛線が、南部に集中して設置されていたため沖縄本島北部の侵攻に時間は掛からなかったものの、残り三分の一(約30km)の南部侵攻は、激しい抵抗に遭い3ヶ月も要しています。
・沖縄地上戦 Okinawa ground war (YouTube)
連合軍は、自然壕や塹壕などに隠れた旧日本軍から背後の攻撃を防ぐ為、投降を呼びかけたのち壕の爆破や、入り口を埋めたり、火炎放射器で焼き払うなどを行っています。
また、同様の理由から侵攻経路上の民家などの構造物や林なども焼き払ったり、爆撃や砲撃などを行っています。
投降を呼びかけられても、連合軍のことが信じられずそのまま被害にあった方も多かったようです。
そのため、埋まってしまって場所が分からない。壕の存在も分からないなどから遺骨収集がされずにそのままとなっている場所もあります。
・Okinawa war 沖縄決戦 首里攻防戦 (YouTube)
旧日本軍は、首里城の地下に陸軍司令部を置いていました。
1945年5月25日から3日間の攻撃を受け、司令部を失った後は、戦線を南下していくこととなります。
1945年6月23日ごろ、日本の沖縄守備軍最高指揮官の第32軍司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将が、摩文仁の軍司令部で自決した。6月25日に大本営も、沖縄本島における組織的な戦闘の終了を発表しました。
組織的では無い戦闘は、その後、しばらく続いていましたが、沖縄では、この6月23日を「慰霊の日」と定め、記念日としています。
・ アメリカからみた【沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊(Okinawa)】第二次世界大戦(YouTube)
・ひめゆり学徒隊(師範学校女子部と県立第一高女)
・白梅学徒隊(縄県立第二高等女学校の四年生)
・瑞泉学徒隊(県立首里高女)
・積徳学徒隊(私立積徳高女)
・梯梧学徒隊(私立昭和高女)
・なごらん学徒隊(県立第三高女)
・宮古高女学徒隊(県立宮古高等女学校)
・八重山高女学徒隊(県立八重山高等女学校)
・八重農女子学徒隊(八重山農学校)
ひめゆり学徒隊は、引率教師が多かったため、戦後の早い時期から知られることとなりましたが、その他の学校でも、補助看護婦として高校生くらいの女の子も従軍を行っていました。
・病院壕は、糞尿の臭いや腐った臭いが充満していて、最初は気分が悪くなったがしばらくすると慣れた。
・(戦況が厳しくなった頃は)医薬品が不足し、壊死した手足の切断を麻酔なしで行っていた。
・個別で埋葬できなくて、爆弾であいた穴に埋葬した。
・十分な手当てが出来ずに亡くなっていく方がいた。
前に元学徒看護隊のお話を聞く機会がありました。
お話を聞いていると、その方の体験談だけど、悪い夢の内容をはなしているような感じでした。
手足の切断で、骨をのこぎりで切り落とすところの描写が細かかったり、生きている人を抱きかかえるよりも、手足だけの方が重くて大変だったとか。遺体を埋葬したところに家が建っているとか。雑用すらしない女の人がいたので、大人の人に文句をいったら、作業はしなくても良い人だといわれた話とか。
看護した兵隊さんがどんどんなくなっていくのをなんとも思わなくなったというお話のが印象的でした。
真珠湾を攻撃して宣戦布告、約3年後、長崎、広島の原子爆弾攻撃を受けて敗戦。
今思えば、宣戦布告前から戦力に差があるのは明確なのに、なぜ、宣戦布告し、太平洋戦争を起こしたのか学校の授業でならった事がなかったような気がします……。
人気ブログランキングへ 記事が参考となりましたら。ブログランキングバナーのクリックをお願いします。
[てぃーだブログ広告]
Posted by Riichi at 07:18
│Comments(0)
│いろいろな話題